うどん

うどんの歴史について解説!実は発祥地は香川ではなかった!

2022.02.03

(実はうどんの発祥は日本ではなくある国から伝えられたものと言われています。うどんが好きな方でも意外と知らないのではないでしょうか?今回はうどんが日本にどうやって伝わったのか、いつからうどんは食べられているのかを紹介します。)

「うどんはの発祥ってどこなんだろう?」

「うどんは日本でいつから食べられているんだろう?」

寒い冬に食べる「肉うどん」や暑い夏に喉越し良くツルッと食べられる「ざるうどん」など日本人が一年を通して馴染みの深い食べ物「うどん」。

そんな身近なうどんに上記のような疑問を持ったことがあるのではないでしょうか?

この記事では

・うどんの発祥やいつから日本で食べられるようになったのか

・日本各地のうどんの種類

を紹介していきます。

うどんの歴史を詳しく解説しますので、ぜひ最後まで御覧ください。

1.うどんの歴史

(1)うどんの発祥はどこ?

うどんの発祥は日本ではないのかと、思われるかもしれませんが、実はうどんの原型を作ったのは中国だといわれています。

うどんの原料である「小麦」は紀元前8千年頃のメソポタミアで栽培されていました。

西アジアで、小麦の栽培方法や現在の石臼と同じ原理を持つ粉化の技術が発展し、西アジアからシルクロードを経て当時の中国に伝わりました。

西アジアから伝わった小麦は、水を加え練ったものを「餅(ピン)」と呼び、蒸したり焼いたりと調理法を変えて中国で広まり、この中でも「茹でる」調理法の「湯餅(タンピン)」が現在の麺に発展していきます。 

(2)うどんは江戸時代から食べられている

中国との交流の拠点となった場所が鎌倉時代の九州・博多です。

当時、博多には「大唐街」と呼ばれる中国人街があり、大唐街の貿易商人が日本に渡った際、製粉技術とともにうどんやそばなどを日本に持ち帰ったといわれているためです。

しかし、日本に伝わった直後に、うどんが広まったわけではありません。

庶民に広く親しまれるようになったのは江戸時代からです。

江戸時代は、博多ではそうめんが多く作られていました。
しかし、長時間天日干しにしなければならず工程に時間がかかるため、作ったらゆでてすぐに食べることができるうどんが徐々に広まったのではないかと考えられます。 

(3)かつてはハレの食事だった

大正の終わりから昭和の初め頃までは一般の家庭でも、麦味噌やまんじゅう、団子など麦料理は親しまれていた。

ただ、現代の様にうどん屋が多くあるわけではないため、家でうどんを作り食べることが普通でした。

しかし、家でうどんを作るというのはとても手間がかかるものです。

そのため、普段の食事というよりは「ハレ」の特別な食事としての意味合いが強いものだったようです。

また、発祥地と呼ばれる承天寺では、10月17日の開山日には「うどん供養」が行われうどんが提供されていたり、時代によって食べるシーンが変化してもうどんは特別なものという風習は今でも日本に根づいています。

2.うどんだしの歴史

うどんは中国から伝来し、時間をかけて日本全国に広まっていきました。

その中でもうどんを作る要素の中で、忘れてはいけない重要なものが「だし」の存在です。

ここからは、うどんの味を決めるといっても過言ではない、だしの歴史や関西と関東のだしの違いについて解説していきます。

(1)だし文化はいつから

そもそも日本におけるだし文化の起源をたどると、実は縄文時代まで遡ります。

縄文時代に、人類は縄文土器を作り出し、魚や肉、きのこなど様々な食材を煮て調理する事を覚えました。

煮るという調理法を獲得する過程で、食材の煮汁が、食品を美味しくすることに気づき「だし」という概念が生まれたのではないかとされています。

また、鰹節や昆布が日本のの歴史に登場したのは、奈良時代と言われています。

朝廷へ納める税としてかつおらしき魚の記述が当時の文献に出てきていることから、かつおが食べられており、それに付随してかつおだしが使われていたのではないかとされています。

(2)関西だし

関西だしは、昆布をベースに、煮干しやカツオなどを使った食材を組み合わせる「合わせだし」が特徴です。

昆布だしのすっきりとした風味に鰹節の焙煎された香りや煮干しの味わいなどがうまく結びつき目立たないながらもしっかりとした味のだしになります。

関東だしと比べて、味付けも色も薄いと言われているのは、だしで味をつけるのではなく、素材そのものの味を楽しむからだと言われています。

醤油は風味づけ程度に留めているため、ふくよかなだしの風味とともに素材本来の味を楽しむことが出来ます。

(3)関東だし

一般的に関東のだしは、色も味付けも濃いと言われています。

関東では、だしは「つゆ」とも言われ料理などでは、素材そのものに味をしっかりつけることが特徴です。

味をしっかりとつける文化は、カビ付けした枯節というかつお節を使用する点にあります。

枯節は華やかで力強い香りがあるため、合わせる醤油も負けないように力強いものが選ばれるためです。

個々に強い風味があるものを合わせることで、旨味と香りがはっきりとさせられるメリットがあります。

使用される醤油は、どっしりとした味わいで、焼き魚から煮物までしっかりと使われる濃い口醤油が使われます。

(4)関西と関東でなぜ違いがあるのか

関西と関東でだしに大きな違いがあるのには、江戸時代の運搬事情が関係していると言われています。

「だし」が、生活に浸透してきたのは江戸時代から。

現代のような流通ルートが確立されておらず、京都から江戸までのおよそ500kmの道のりを人の足で2週間程度歩いて運んでいました。

しかし、昆布を太平洋からのルートで運搬するのが難しく、関東では昆布を入手することが困難でした。

そのため、昆布が入手しやすい関西では、素材を生かした料理が発展し、関東では地元で獲れる魚を使っただしや料理法が発達していきました。

3.うどんと日本文化の歴史

長い歴史のあるうどんには、日本文化とも強い繋がりがあります。

ここからは日本の文化にどの様にうどんが関わっているのかを紹介していきます。

(1)落語

落語には「うどんや」という噺があります。

江戸時代の初期には「振り売り(ふりうり)」と呼ばれる移動式のうどん屋が流行しました。

「うどんや」は冬の深夜に鍋焼きうどんを作って振り売りをしている主人公がお客さんに振り回されるというストーリーです。

庶民の楽しみである落語にもうどんが登場していることからうどんが古くから親しまれていることが伺えます。

(2)近代文学

うどんをテーマにした随筆も多く残っています。

洒落なユーモア文学で人気があった獅子文六の「続 飲み食い書く」には「鍋焼きうどん」が登場しています。

また、英文学者の吉田健一の「私の食物誌」では「関西のうどんは淡い味だが、天ぷらを足すと味が引き立ち、3杯は平気食べられるが5杯目だと飽きる」とうどんについて記述されています。

うどんは誕生してから現代まで各年代の文化を彩ってきた料理と言えます。

4.香川がうどんで有名な理由

うどんというと一番に思い出すのが、「讃岐うどん」。

総務省の家計調査では、都道府県別うどん・そばランキングでは、一人あたりのうどんの購入料が、全国平均の2倍程度となっています。

しかし、なぜ香川県がうどんで有名なのでしょうか?

ここでは、香川県の風土を考えながら香川県がなぜうどんが有名なのかを解説していきます。

(1)いりこの産地だった

関西と関東のだしの違いで説明した通り、関西では昔から昆布が手に入りやすいため昆布出汁が好まれてきました。

しかし、手に入りやすいと言っても高級品であり、なかなか日常で使えるものではありません。

そこで庶民の間では、手に入りやすく簡単に出汁を取ることができる「煮干し」がよく使用されていました。

香川県は、日本でも有数のいりこの産地だったため、誰でも簡単にだしをとれ、うどんを作れたために広まったのではないかと考えられます。

(2)乾燥した土地だった

香川県は昔から、災害が少なく住みやすい地域ですが、地中海性気候で雨が少なく水不足に陥りやすいと有名な県です。

そのため、香川県の人々は長年水不足に悩まされており、稲が不作になることも珍しくありませんでした。

そこで、稲の不作を解消するために、二毛作としてうどんの原料である「麦」を育てる農家が多くなり香川県に広まったと考えられています。

また、小麦は醤油の原料にもなります。

小麦を美味しく食べるための、香川県の人々の工夫が現在の香川県を作ったのです。

(3)塩作りが盛んだった

香川県の塩は砂糖や木綿とともに「讃岐三白」と呼ばれ香川県を代表する特産物としても有名です。

瀬戸内海と面しており遠浅の海であることや、降雨量も少ないため、古くから製塩が盛んに行われていました。

実際に、沿岸部の遺跡からは、塩を作る際に使用したと思われる土器が多數出土しており、古くから塩作りが行われていたことが伺えます。

小麦も醤油の原料になりますが、醤油を作るためには塩も欠かせません。

塩が特産品であったことも香川県でうどんが広まった1つの要因です。

5.5大うどん

日本全国に多くの種類のうどんが存在しています。

「3大〇〇」という表現は食べ物に限らず良く使われますが、うどんにも「日本3大うどん」が存在します。

ただ、日本には多數のうどんが存在しており、日本3大うどんがどのうどんをさしているのかははっきりとしていません。

ここからは、全国のうどんを5つに絞り日本5大うどんとして紹介します。

(1)讃岐うどん

うどんの中で最も有名なのが「讃岐うどん」ではないでしょうか?

中国の唐からうどんの製法が伝えられ、旧国名の讃岐がつけられたうどんです。

讃岐地方は米が育ちにくく、小麦などが盛んに栽培されていたこともあり、現在までうどん作りを代表する県になっています。

少し前までは、うどんの生地を足で踏む「足踏み製法」が主流でしたが、現在は手打ちが主流となっています。

ゆでたうどんに醤油をかけて食べるぶっかけうどんや、ゆでたお湯と一緒にだされたうどんをつゆにつけて食べる釜揚げなど、食べ方が豊富なのが特徴です。


(2)稲庭うどん

「稲庭うどん」は、江戸時代初期に秋田県の稲庭地区に住んでいた佐藤市兵衛が、地元産の小麦粉を使って干しうどんを製造したのが始まりといわれています。

稲庭うどんは手掬い(てない)という作業によって作られます。

手掬いでは、生地を2本の棒にかけて潰し、伸ばして乾燥させ稲庭うどん特有のすこし潰れた平らな麺とになります。

つるつるとして喉越しのよい稲庭うどんは庶民の間での評価も高く、当時の秋田県の殿様も贈答品として利用していたそうです。


(3)五島うどん

長崎県の五島列島で発展したといわれているのが「五島うどん」です。

五島うどんは、島の特産である食用の椿油を塗布しながら、棒状の生地を2本の箸にかけ、引き延ばして束ねる作業を繰り返すことで細くてコシの強く切れにくい麺が出来上がります。

古くから、農作業や漁など日々の生活に追われる上五島の人々の間で、身近な材料で作れる保存食として親しまれてきました。

手間もかかり丁寧に作り上げ、生産量が少なかったため昔は「幻のうどん」とも呼ばれていたそうです。


(4)水沢うどん

水沢うどんは、群馬県にある水澤寺の周辺において、参拝客向けにに作ったうどんが発祥といわれています。

小麦、水、塩の3つの材料で作られ、つなぎとして卵が使われるこはなく添加物も一切使用しないため材料の味がダイレクトにうどんの味になります。

水沢うどんは、生地を練り、寝かせる作業を繰り返し行ない、寝かせる時間を長く取ることが多いため、噛みごたえのある強い弾力がでることが特徴です。

冷たいざるうどんで食べるのが一般的です。

(5)氷見うどん

「氷見うどん」は、稲庭うどんや五島うどんと同じく手延製法で作られます。

しかし、氷見うどんは手延べうどんだけでなく手打ちうどんの良さもあわせ持っています。

氷見うどんは、生地をつくる工程で、手でこねたり、足で踏んだりを何度も繰り返す「手打ちうどん」のような作業があります。

そのため、手打ちうどんの良さである「弾力性のある強いコシ」と手延の良さである「ツルンとした喉越し」の両方の良さを兼ね備えているのです。

また、手延作業では引き伸ばす際に油を使うことが主流です。

しかし、氷見うどんでは、油を使わずに延ばすため、うどんの麺の旨みが十分に引き出さられます。

6.うどんは古くから日本人に親しまれている(←記事のテーマに即した内容を入れてください)まとめ(大見出しタイトル)

うどんの発祥はどこなのかや日本におけるうどんの歴史についてご紹介してきました。

うどんが生まれたのは意外にも、日本ではなく中国なのは驚きです。

しかし、現在日本では各地で異なる発展を遂げたうどんが存在しており「うどん」は日本の文化の一つです。

忙しくて旅行に行けない場合でも、通販で取り寄せられるものも存在しています。

昔の人に思いを馳せながら、麺の太さや味付けの違いなど各地で異なる全国のうどんを食べ比べてみてはいかがでしょうか?